正式名

マクラーレンF1チーム | McLaren F1 Team

拠点イギリス・ウォーキング
初参戦1966年
レース優勝182
選手権優勝8
チーム代表アンドレアス・ザイドル
テクニカルディレクタージェームス・キー
レースドライバーダニエル・リカルド
レースドライバーランド・ノリス
ソーシャルメディア

プロフィール

もとはブルース・マクラーレン・モーター・レーシングとして知られるマクラーレンは1963年にニュージーランド人F1ドライバーのブルース・マクラーレンによって創設され、3年後の1966年モナコGPでグランプリデビューを果たした。現代のモータースポーツでは当たり前となっているが、カーボンファイバーのモノコックを使用してマシンを製造した初のチームでもある。マクラーレンはF1で最も成功を収めたチームのひとつとして数えられ、通算160勝以上を挙げてコンストラクターズ選手権を制すこと8回、ドライバーズ選手権では12回のタイトルを獲得している。

チームの初勝利はブルース自身の手によってもたらされた。1968年にブランズハッチで開催されたノンチャンピオンシップのレースで優勝し、ベルギーGPで表彰台の頂点に上っている。同シーズン終盤戦のイタリアGPとカナダGPではチームメイトのデニス・ハルムが勝利を挙げ、チームの成功に貢献。最終的にコンストラクターズ選手権はロータスに次ぐ2位だった。

1970年は最悪のスタートとなる。インディ500に初参戦したものの、プラクティスでクラッシュを喫したハルムが手に大ケガを負う。そして1970年6月2日、イギリスのグッドウッドで CanAmのテストに臨んでいたブルースがクラッシュにより落命。ブルースの死からわずか12日後に行われたCanAm開幕戦ではダン・ガーニーがドライブしたマシンが優勝した。マクラーレンは1972年に同シリーズから撤退したものの、それから2年を経てシリーズ自体が消滅し、通算43勝を記録したマクラーレンが最も成功したコンストラクターとして歴史に刻まれている。

ブルースの死後2年、マクラーレンは南アフリカGPで表彰台の頂点に上る。M19Cを駆ったのはハルムだった。しかし、ドライバーラインアップの豪華さとは裏腹に、勝利数はほとんど伸ばせず。1976年にフェラーリのニキ・ラウダを1ポイント上回ったジェームス・ハントがドライバーズタイトルを獲得するまで、チームからF1王者が誕生することはなかった。

アラン・プロストとラウダ(一時は引退していたが、1982年よりF1に復帰)というスーパーチームと呼ぶにふさわしい布陣を手に入れた1984年、マクラーレンは完ぺきに近いシーズンを過ごす。プロストとラウダの2人はとにかく強く、それぞれ7勝と5勝を挙げている。チャンピオンを獲得したのはラウダだったが、2位プロストとのポイント差はたったの0.5ポイント。F1史上まれに見る接戦 でのタイトル獲得だった。コンストラクターズ選手権はフェラーリに86点の大差をつけてマクラーレンが圧勝している。翌年、プロストの圧倒的な強さによりマクラーレンはダブルタイトルを獲得。続く1986年にもプロストはチャンピオンを獲得したが、ウィリアムズ・ホンダを駆るナイジェル・マンセルとネルソン・ピケのコンビが活躍し、コンストラクターズタイトルの連覇は阻まれた。

今日のマクラーレンとして知られるのは、ロン・デニスが自らのプロジェクト4レーシングを合併させ、チーム代表に就任して以降のチームだ。デニスが手腕を振るうようになってからというもの、マクラーレン支配の時代がスタートする。1988年にはアイルトン・セナが、翌年はチームメイトのプロストが世界王者の称号を手にした。1990年に王者奪還を果たしたセナは翌年もトップに君臨している。コンストラクターズ選手権は1988年から1991年までマクラーレンが4連覇した。

以後、しばらく再び衰退の時期に直面したマクラーレンが次にタイトルを手にしたのは1998年のこと。ついに競争力を取り戻したマクラーレンを駆ったミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードは次々と勝利を重ね、序盤の6戦中2人で5勝を挙げるという敵なし状態だった。長い低迷期を耐えたハッキネンとマクラーレンの完全復活となった同年はドライバーズおよびコンストラクターズの両選手権を制覇している。

新世紀に入ると、マクラーレンはライバルたちから激しいプレッシャーを受ける。2005年にはグリッド最強のドライバーラインアップと言われたキミ・ライコネンとファン-パブロ・モントーヤのコンビを起用。チームとして10勝を挙げ、グリッド最速のマシンを有しながらも、信頼性の低さが要因でタイトルを逃している。

王者奪還を目指すマクラーレンは2007年、フェルナンド・アロンソとルーキーのルイス・ハミルトンを擁してシーズンに挑んだ。コース上では新加入のハミルトン、アロンソ共に4勝を挙げるなど、うまくいったシーズンだと言えるが、コース外では長い歴史を誇るチーム史上最も大荒れのシーズンとなった。ハミルトンとアロンソのお家騒動の傍らでは、フェラーリに対する産業スパイ疑惑が浮上。結果はマクラーレンがフェラーリの機密情報を保持していたとの有罪判決が下され、コンストラクターズ選手権除外と、1億ドル(約115億円/当時)という記録的な罰金処分が科されている。

翌年はハミルトンの新チームメイトにヘイキ・コバライネンを起用。ルノーから移籍したコバライネンは後のハンガリーGPで自身初の優勝を経験する。最終戦までもつれたタイトル争いをハミルトンが制し、マクラーレンから1999年以来となるF1世界王者が生まれた。

2009年に入ると、長らくチームを率いてきたデニスが代表の座をマーティン・ウィットマーシュに譲る。開幕当初こそ散々な結果に終わったマクラーレンだが、MP4-24に大幅改良を施してからは徐々に復調を遂げ、ハンガリーGPではハミルトンがシーズン初勝利をマーク。ライバルたちが開発をやめていく中、最後までマシンの改良に励んだマクラーレンはプッシュを続け、シンガポールGPでもハミルトンが優勝を果たした。後半戦ではほかにも3度の表彰台に上ったハミルトンの一方で、コバライネンはレース後にシャンパンを味わうことなくシーズンを終えている。

終盤の巻き返しによって、ライバルであるフェラーリを抜きランキング3位で締めくくったマクラーレンは2010年に向けてハミルトンの相棒として前年度チャンピオンのジェンソン・バトンを起用し、オールブリティッシュ体制を形作った。革新的なFダクトでタイトル争いに名乗りを上げたマクラーレンだったが、シーズン後半に失速して選手権ではハミルトン4位、バトン5位、チームとしては2位にとどまっている。

2011年もレッドブルに次ぐ2位という結果は変わらなかったものの、新たにアグレッシブな面が開花したバトンがランキング5位のチームメイトを上回る選手権2位につけた。2012年はそのバトンが開幕から勝利を飾るも、シーズン中盤にかけてレッドブルやフェラーリをはじめとするライバルたちに押されるようになる。加えてそんな状況の中で、少年期からマクラーレンで育ってきたハミルトンのチーム離脱が発表される。ランキングを一つ落として3位としたマクラーレンはハミルトンの後継者としてセルジオ・ペレスを選択した。

しかし、新コンビで挑んだ2013年はマシン開発であえて賭けを選んだことが裏目に出て、チーム史上まれに見る大苦戦を強いられる。このシーズンにマクラーレンドライバーが表彰台に上ることは一度もなく、最終戦ブラジルGPで4位に入ったバトンの結果がベストリザルトだった。ペレスはわずか1年でシートを失い、2014年はマクラーレンの育成ドライバーであるケビン・マグヌッセンがバトンのチームメイトとして加入した。

ルーキーのマグヌッセンは開幕戦から表彰台に上る活躍を見せるも、それ以降のマクラーレンには不調が続く。心機一転を図るチームは2015年にHondaとの象徴的なパートナーシップを復活させ、バトンのチームメイトに2度の世界王者を経験するフェルナンド・アロンソを迎えてマクラーレン・ホンダの第二章へと乗り出した。

しかしながら、7年ぶりにF1に戻ってきたHondaのパワーユニットにはプレシーズンテストの段階からトラブルが多発し、あまつさえ初回のバルセロナテストでアロンソがクラシュする事態に。この事故でアロンソが開幕戦オーストラリアGP欠場を強いられた結果、リザーブドライバーに就任したマグヌッセンが代役を務めるも、スターティンググリッドに向かう途上でエンジンが故障し、バトンも最後尾で完走するのが精いっぱいだった。アロンソが復帰した2戦目以降も数々の初期トラブルが発生し、何度かのポイントフィニッシュがあった中盤になっても苦境には変わりなかったが、チームは忍耐強く団結してシーズンフィナーレまでを戦い抜いた。マグヌッセンがこの年をもってマクラーレンを離脱した一方、アロンソとバトンの王者コンビは2016年こそ違った年になるとの期待を胸に残留。チームはフォルクスワーゲンのモータースポーツディレクター、ヨースト・カピトをマクラーレン・レーシングのCEOに引き抜き、同職にあったジョナサン・ニールをマクラーレン・テクノロジー・グループのCOOに据えてトップ返り咲きを狙った。

マクラーレンほどのチームになれば、未勝利のシーズンとはそのまま失敗を意味することになる。確かに2016年は前年と比較して進歩したものの、マクラーレン自身が予測したほどの競争力は見せられず、ベストリザルトは5位、コンストラクターズ選手権では6位止まりだった。ただし、チームはシーズンを通して印象的な開発を行っており、アロンソがマシンを何度か強力なリザルトに導く輝きを見せている。チームは第14戦イタリアGPで2017年のラインアップを発表し、開幕戦でクラッシュしたアロンソに代わって第2戦でドライブしたストフェル・バンドールンの正ドライバー就任、ならびにアンバサダー兼リザーブドライバーとしてのバトン残留が明らかになった。また、長年チームを率いてきたロン・デニスが11月にマクラーレン・テクノロジー・グループの会長兼CEOを解任された後、12月からザク・ブラウンが商業面のトップであるエグゼクティブディレクターとして加入している。

2016年の進展を踏まえれば、ベテランのアロンソと若手の星バンドールンが組む2017年にはさらなる躍進を期待できるはずだった。だが、そんな期待とは裏腹に、Hondaが冬の間に行ったアグレッシブなエンジン改革が裏目に出たこの年は、再び信頼性の問題に悩まされている。チームとHonda、アンドレッティ・オートスポーツが協力して実現したアロンソのインディ500挑戦という試みも、結局はホンダエンジンのトラブルでリタイアという結果に終わった。この状況を受け、マクラーレンはHondaとの3年にわたる提携を打ち切ることを決定。2018年からルノーをエンジンサプライヤーに迎えることになった。ランキング9位で不振と決断のシーズンに幕を引いたチームは、アロンソとバンドールンのコンビを継続する傍ら、2018年に向けてヨーロッパF3選手権王者のランド・ノリスをテスト兼リザーブドライバーに取り立て、マクラーレン主催のeスポーツコンペティションで世界最速ゲーマーの称号を得たルディ・ファン・ビューレンを公式シミュレータードライバーに据えた。

2018年シーズンが始まると、アロンソが開幕戦オーストラリアGPで5位、その後も第5戦スペインGPまで連続入賞を果たす。この年のマクラーレンはPUをルノーに変えたことにより、同PUを積むレッドブルやルノーと比較されることになるが、この時点でレッドブルにはダブルポイントの差をつけられ、ルノーにはポイントで追いつかれるなど、シャシー側に大きな問題があることが明らかになった。マクラーレンは空力パーツなどさまざまな対策を持ち込むも大きな改善は見られず、その後もマシントラブルによるリタイアが続く。ついに7月、レーシングディレクターのエリック・ブーリエの辞任が発表された。パフォーマンスの低迷に対して責任を取った形になる。併せてジル・ド・フェランのスポーティングディレクター就任など、レーシングチームの再建計画が発表された。とはいえ、その後もレースの成績は上向かず、何度かアロンソが入賞するもののライバルたちからは離されていき、最終的にはルノーにもダブルポイントの差をつけられてしまう。8月にはアロンソが2018年シーズンをもってF1から離れることを公表したのを受けて、マクラーレンは2019年にルノーのカルロス・サインツを起用することを発表。さらにバンドールンに代えてリザーブドライバーのランド・ノリスを昇格させた。

新たなドライバーコンビで臨んだ2019年シーズン、序盤はマシントラブルで入賞のチャンスを失うことがありつつも、第2戦バーレーンGPでノリスが6位入賞を遂げる。第4戦アゼルバイジャンGPではダブル入賞を果たして昨年の不振から脱したことを印象づけた。また、ジェームス・キーをテクニカルディレクターに、アンドレアス・ザイドルをチーム代表に招聘(しょうへい)し、体制面でも強化を図っている。ドライバーに関しては、特にサインツの活躍がめざましく、着実にポイントを積み重ね、第20戦ブラジルGPでは20番グリッドから3位まで駆け上がり、チームとしては2014年以来となる表彰台を手にした。また、コンストラクターズランキングにおいても、直接のライバルとなるルノーをシーズン序盤から引き離し、4位でシーズンを締めくくっている。

引き続きサインツとノリスを擁して迎えた2020年シーズンは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって思わぬ影響を受ける。シーズン初戦となるオーストラリアGPに先立ってスタッフの感染が判明し、チームとしてグランプリを欠場することを発表したのだ。結局、このグランプリは中止となり、シーズンの開幕は大幅に遅れることになる。しかし、7月にずれ込んだ開幕戦として実施されたオーストリアGPでノリスが3番グリッドにつけ、レースでも戦略的判断が的中して3位と5位でフィニッシュ。チーム代表のザイドルはレース後に「マシン開発においても運営方法にといても、われわれが正しい方向に進んでいることを確認できた」と胸を張っている。このシーズンのマクラーレンは信頼性が向上し、第8戦イタリアGPではサインツが予選3番手、決勝で2位を獲得するなど、速さもあった。こうして、マクラーレンは多くのレースで中団グループのリーダーの座を争うことになる。この年はフェラーリが大きく後退したこともあり、シーズン終盤にはランキング3位の座をかけてレーシング・ポイント、ルノーと熾烈(しれつ)なポイント争いを繰り広げた。この戦いを制してランキング3位の座を手に入れたのは、最終戦アブダビGPでノリスが4位、サインツが5位を獲得してレーシング・ポイントを逆転したマクラーレンだった。2021年シーズンはサインツに代わってルノーからダニエル・リカルドが加入し、PUをメルセデスに変更する。

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