セルジオ・ペレス

Sergio Perez

出身メキシコ
生年月日1990年01月26日 (31歳)
参戦195
ポイント716
優勝1
表彰台10
ソーシャルメディア
F1戦績
チームランキング
2011ザウバー16位
2012ザウバー10位
2013マクラーレン11位
2014フォース・インディア10位
2015フォース・インディア9位
2016フォース・インディア7位
2017フォース・インディア7位
2018フォース・インディア/レーシング・ポイント8位
2019レーシング・ポイント10位
2020レーシング・ポイント4位
2021レッドブル-

プロフィール

カートを卒業し、母国メキシコの通信事業最大手『Telmex(テルメックス)』の保護下でスキップ・バーバー・レーシング・スクールに入学した時、セルジオ・ペレスはまだ14歳だった。

テルメックス・マネーの支援を受けながら、ヨーロッパのジュニア・フォーミュラを駆け上がり、フォーミュラBMW、イギリスF3を経て、18歳の若さでGP2に到達。その間勝利はあったものの、総合タイトルには手が届かなかった(イギリスF3のBクラスにあたるナショナルシリーズでは優勝)。

しかしGP2アジア・シリーズで才能が開花。バーレーンのスプリントレースで優勝して、同カテゴリーの史上最年少ウイナーに輝いた。初のヨーロッパGP2シーズンでは2度表彰台に上り、12位でフィニッシュしている。だが、本当にその名が知られるようになったのは、栄誉あるモナコのフィーチャーレースでの勝利を含む4勝を挙げた2010年になってからだ。

2011年は同じGP2卒業生の小林可夢偉のチームメイトとしてF1入りを果たす。テルメックスのバックアップもあってのデビューだったが、ペレスはペイドライバーというレッテルへの抵抗であるかのような力強い走りを見せた。ザウバーは7月に行われたイギリスGPの時点で早くもペレスへの信頼を示し、翌年も可夢偉とペレスの不変のタッグで戦いに臨むことを発表している。

ザウバーでの2年目には初年度を超える成功を収め、第2戦マレーシアGPで早くも勝利まであと一步のところまで近づいた。このレースではフェルナンド・アロンソに次ぐ2位に入り、その後もカナダGPでの3位、モンツァではフェラーリの2台を抑えて2位フィニッシュを果たすなど印象的なリザルトが続く。当時ペレスはフェラーリ・ドライバー・アカデミーの一員だったが、さすがにフェラーリの2013年のレースシートを与えられるほど、ルカ・ディ・モンテゼモーロの心を動かすことはできなかった。しかしながら、ペレスのパフォーマンスはマクラーレンの目に止まり、メルセデスへ移籍するルイス・ハミルトンの後任として契約を結ぶこととなった。

しかし、失敗作に終わったマシンで2013年にリザルトを残すことに苦心したペレスはわずか1年でチームから放出されてしまう。だが、その後間もなくしてフォース・インディアがニコ・ヒュルケンベルグの相棒としてペレスと契約したことを明らかにした。2014年バーレーンGPではチームにとって2回目にあたる記念的な表彰台フィニッシュを遂げるも、シーズンを通して一貫性を欠き、ヒュルケンベルグに37ポイントの差をつけられた。

ヒュルケンベルグとのコンビを継続した2015年はマシン開発の遅れも影響して序盤はぱっとしない成績だったものの、シルバーストーンでBスペックが投入されてからは活躍を見せ始め、9月中旬には翌年のチーム残留も決まった。リザルト面でのベストレースは強い走りで3位表彰台に上った第15戦ロシアGPだが、ペレスにとってそれ以上に特別なのはF1キャリア初の母国グランプリに参加したこと。23年ぶりにカレンダーに復帰し、第17戦に組み込まれたメキシコGPにおけるペレスの順位自体は8位とまずまずながらも、サーキットでは週末を通してペレスの愛称である”チェコ”コールが鳴りやまなかった。シーズン後半の健闘によって、ペレスはチームメイトに20ポイント差をつけて前年度の雪辱を果たしている。

翌年もフォース・インディアでヒュルケンベルグと組んだペレスは、モナコとバクーの2つの市街地レースで表彰台に上る快挙を遂げた。F1初開催だったバクーでは、結果的にペナルティで5グリッド降格されたものの、強豪を抑えて予選2番手につけている。全21戦が組み込まれた同シーズンにおいてペレスは全レースで完走を遂げ(うち完走扱い1回)、入賞を逃したのは5回のみだった。中団チームの中で確かな実力を示した一方、翌シーズンの契約についてはしばらく不確かな状態が続いていたが、10月になってフォース・インディア残留が明らかになっている。2年連続で僚友を上回る成績を残してチームのコンストラクターズ選手権4位に貢献したペレスは、フォース・インディアを去るヒュルケンベルグに代わってマノーから加入するエステバン・オコンと共に2017年を戦うことになった。

新たなシーズンで善戦を続ける一方、前年までは存在しなかった問題が浮き彫りになってくる。それは新チームメイト、オコンとの関係性だった。第7戦カナダGPで自分にオーバーテイクのチャンスがあると考えたペレスが、オコンを先行させるようにとのチームの指示に背いたのをきっかけに2人の間の緊張感が高まり、第8戦アゼルバイジャンGPと第12戦ベルギーGPでは同士討ちを演じてしまう。これには自由な競争を支持していたチームも対処に追われ、コンストラクターズ選手権4位が決まるまではチームメイト間の直接対決が禁じられた。時にオコンがペレスを上回ることがあったものの、最終的に100ポイントを集めたペレスが7位、オコンが8位でこのシーズンは幕を閉じている。

エステバン・オコンとのコンビが2年目となった2018年シーズン、ペレスは開幕3戦でノーポイントに終わる。しかし、予選8番手からスタートした第4戦アゼルバイジャンGPでは、接触により大きく後退し、更にペナルティも受けて一時は16番手に後退するも、上位陣のクラッシュやトラブルなどを受けて着実にポジションアップ。最終的にはフェラーリのセバスチャン・ベッテルをオーバーテイクして3位で表彰台に上る。チームの破産により新生フォース・インディアとして参戦した第13戦ベルギーGPでは、オコンとともに快走して5位を獲得した。その後も着実にポイントを積み重ね、ランキング8位でシーズンを締めくくっている。

2019年はチームオーナーの息子ランス・ストロールをチームメイトに迎えた。シーズン序盤のフライアウェイ4戦で3度の入賞を果たし、中でも前年に表彰台に上った第4戦アゼルバイジャンGPでは予選5番手からシーズン最高位タイとなる6位でフィニッシュした。しかし、その後はマシンの競争力不足が響き、ノーポイントのレースが続く。シーズン後半に入るとマシンのアップデートもあって調子が上向き、第13戦ベルギーGPでは7番グリッドからシーズン2度目の6位入賞を遂げた。続く第14戦イタリアGPでは18番グリッドから7位を獲得している。その後はマシントラブルによってリタイアを余儀なくされた第15戦シンガポールGPを除き、9戦中8度の入賞というベテランらしい着実な走りを見せた。最終戦アブダビGPではファイナルラップでドライバーズランキング上のライバル、ランド・ノリス(マクラーレン)をオーバーテイクし、ランキング10位を確保してシーズンを終えた。

ペレスは2020年もレーシング・ポイントから参戦。この年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によってF1も大きな影響を受けており、F1ドライバーの中で最初の感染者になったのがペレスだった。第4戦と第5戦を欠場したペレスは復帰後、第6戦スペインGPで予選4番手を獲得するも決勝は5位。第8戦イタリアGPでも同じく予選4番手から決勝は10位と、いまいち波に乗りきれないレースが続いた。そんな中、フェラーリを離れることが決まっていたベッテルが2021年シーズンからレーシング・ポイントに加入することが発表され、ペレスはこのシーズンでシートを失うことに。シーズン後半戦に入ると、第10戦ロシアGPで4位、続く第11戦アイフェルGPでは予選8番手から同じく4位につけて復調してきた。第14戦トルコGPでは予選3番手からシーズン初の表彰台となる2位を獲得。そして、第16戦サヒールGPを予選5番手からスタートしたペレスは、他車との接触で最後尾に落ちながらもオーバーテイクやセーフティカーのタイミングなどによって順位を回復していく。レース後半にメルセデス勢のトラブルを受けて先頭に立つと、そのままゴールして自身初優勝を飾った。50年ぶりのメキシコ人ウイナーとなったペレスは、「この瞬間をもう何度も何度も夢見てきた。F1でここまで来るのに10年かかったよ。F1でメキシコが成功するのはまれなことだから、表彰台でメキシコの旗が揚がった瞬間は永遠に忘れない」と万感の思いを表現した。この年のランキングは自己最高位である4位。皮肉にもシートを失うことが決まってから好成績を連発したペレスの去就が注目されたが、シーズン終了後にレッドブルがペレスの獲得を発表し、2021年はマックス・フェルスタッペンのチームメイトとしてトップチームで走ることになる。