ルイス・ハミルトン

Lewis Hamilton

出身イギリス
生年月日1985年01月07日 (36歳)
参戦282
ポイント4034.5
優勝100
表彰台176
ソーシャルメディア
F1戦績
チームランキング
2007マクラーレン2位
2008マクラーレン1位
2009 マクラーレン5位
2010マクラーレン4位
2011マクラーレン5位
2012マクラーレン4位
2013メルセデス4位
2014メルセデス1位
2015メルセデス1位
2016メルセデス2位
2017メルセデス1位
2018メルセデス1位
2019メルセデス1位
2020メルセデス1位
2021メルセデス-

プロフィール

ルイス・ハミルトンは将来F1チャンピオンになるであろう有望なドライバーとして早い段階から注目され、その期待に応えてきた。2007年のF1初シーズンでは、わずか1ポイント差でチャンピオンシップを逃したものの、これが翌年の布石となり、史上最年少世界チャンピオンに輝くのである。

ハミルトンはチャンピオンシップを狙えるマシンが常に与えられるという、ライバルからすればうらやましいポジションにいたが、2009年はすべてが変わった。パフォーマンスに欠けるマシンでは表彰台の頂点に立つのが難しいということが明白になったのだ。

当時8歳だった1993年に地元ハートフォードシャー州にあるライ・ハウス・カート・サーキットでカートを始め、F1への初めの一歩を踏み出したハミルトン。10歳でイギリスのチャンピオンに輝いたハミルトンは、オートスポーツ・アワードのセレモニーでマクラーレンのボス、ロン・デニスに近づきこう言った。

「いつか、あなたのところでレースをしたい」

その際、デニスはハミルトンが持っていたサイン帳に「9年後に連絡するように」とメッセージを残している。それから3年のうちに、デニスはハミルトンと契約を結び、マクラーレン・メルセデス・ヤング・ドライバー・サポート・プログラムに迎え入れた。

資金援助を得たハミルトンはシングルシーターに挑戦、2002年にフォーミュラ・ルノーに参戦すると、2年目には2戦を残して早々とチャンピオンシップ制覇を決めた。2004年はF3ユーロシリーズにステップアップし、再び2年目に圧勝してチャンピオンに輝く。翌2006年には初参戦のGP2シリーズでタイトルを手に入れている。

同年、キミ・ライコネンがフェラーリへ移籍し、ファン-パブロ・モントーヤがNASCARに転向したため、マクラーレンには新たなドライバーが2人必要となった。スペイン人ドライバーのフェルナンド・アロンソを獲得していたマクラーレンは11月、そのチームメイトにハミルトンを指名する。

ハミルトンのF1デビューシーズンはあまりにも劇的だった。開幕戦から9戦連続で表彰台に上り、世界チャンピオンの座に君臨するアロンソを上回るパフォーマンスを見せたのだ。カナダGPで初優勝を果たすと、その1週間後のアメリカGPでも連勝。ハミルトンがチャンピオンシップをリードした時には、ルーキーイヤーに世界チャンピオンに輝くという想像を超える偉業を達成するのではないかとの期待も高まったほどだ。

シーズン後半戦では激しいクラッシュやアロンソとの関係に緊張が高まるなど、さまざまな問題を抱えたハミルトンだったが、チャンピオンシップをリードしたまま、ついに最終戦ブラジルGPを迎える。ハミルトンはアロンソに4ポイント差、ライコネンには7点差をつけていた。もしもレース中盤でギアボックスに問題が発生しなければ、ハミルトンが容易にチャンピオンの座を獲得していたことだろう。しかし、結果的に、たった1ポイント差でタイトルを逃してしまった。

アロンソが古巣ルノーに戻った2008年シーズン、マクラーレンはチーム内に調和を取り戻した。ハミルトンの決意に再び火が付き、バーレーンGPフリー走行での大クラッシュといった失敗にもめげずに一連の勝利を収め、モナコGPまでにはチャンピオンシップリーダーの位置に立っていた。

そして再びチャンピオンシップの行方はブラジルでの最終戦に委ねられる。ハミルトンは7ポイントのリードを築き、タイトルを獲得するには5位以内に入ればよかった。ライバルのマッサが優勝を決め、フェラーリのガレージでは大歓声が上がる中、ハミルトンは6番手でファイナルラップに入った。天候の変化に影響されたレース終盤、トヨタのティモ・グロックをとらえたハミルトンは最終コーナー手前で5番手に浮上し、そのままチェッカーを受けて、何と今度は1ポイント差でタイトルを獲得したのだった。

ハミルトンにとって、F1デビュー最初の2年間が夢だったとするなら、3年目は悪夢だったに違いない。シーズン第10戦までに獲得したポイントはわずか9ポイント。ドイツGPでは調子が出ないマクラーレンのマシンに空力的な改善が施され、回復の兆しが見えたものの、シーズン後半の成績は2勝と2回の表彰台獲得が精いっぱいだった。結局このシーズンはランキング5位に終わった。

マクラーレンと2012年末まで契約をかわしていたにもかかわらず、ハミルトンには2011年も離脱のうわさがつきまとった。当時、自身の将来はチームとともにあると主張していたハミルトンだが、マクラーレンは2012年もチャンピオンシップ争いに絡むことができず、彼の忍耐も尽きてしまう。

同シーズンは2回のポールポジション獲得と3戦連続表彰台という有望な形で幕を開けるも、序盤戦のペースセッターだったマクラーレンは徐々にライバルたちに追いつかれ、シーズン中盤にはチームとハミルトンの関係にヒビが生じ始める。9月下旬、さらなる評価と2度目のタイトルを切望するハミルトンは、2013年にメルセデスへ移籍することを発表した。

移籍後初のプレシーズンテストから有望な兆しは見えていたが、ハミルトン自身は高まる周囲の期待を和らげようと努めた。しかし、新チーム加入後2戦目にしてハミルトンが表彰台に上ると、メルセデスは一気にレッドブルの最大のライバルとして浮上する。第3戦中国GPではポールポジションを獲得。しかしながら、タイヤ問題によりマシンは弱体化してしまう。メルセデスのタイヤテスト騒動で汚点をつけられてしまったが、ハミルトンにとって間違いなくハイライトだったのは、ハンガリーGPの圧勝と、移籍1年目でランキング4位になったことだろう。序盤の予測を裏切り、同年のポイントはハミルトン自身が2012年にマクラーレンで稼いた得点まであと1点のところまで迫った。

新V6エンジン時代の幕開けとなった2014年はメルセデスがライバルたちに先んずる。本人も認めたように、ハミルトンは自身2度目のタイトル獲得に向けて最高のチャンスをもたらすマシンを手に入れた。時に、チームメイトでありカート時代からの友人であるニコ・ロズベルグと苦いライバル関係に陥りながらも11勝を挙げ、最終戦アブダビGPの圧倒的な勝利で、長く待ち望んだ2度目の栄冠を飾っている。

ディフェンディングチャンピオンとして臨んだ2015年は開幕から12戦で11回のポールポジションを獲得する破竹の勢いで2年連続の戴冠を確実にしていった。少年時代から敬愛するアイルトン・セナに並ぶ3度の選手権制覇を果たしたのはシーズン第16戦US GPでのことだった。ただ、第13戦シンガポールGPで不調に陥ったメルセデスが開発の方向性を修正したのをきっかけに、ハミルトンはマシンバランスに満足できなくなり、終盤戦では僚友の活躍に押される場面が増えた。ハミルトンはこの点を2016年に向けて改善すべきポイントだと指摘し、憂いなき新シーズン開幕を求めている。

しかしながら、翌シーズンは好調を維持するチームメイトがスタートダッシュを決めた一方、エンジントラブルやスタートの失敗に苦しめられたハミルトンは、ランキングトップに躍り出たロズベルグに序盤4戦で43ポイントもの差をつけられた。第5戦スペインGPでメルセデスコンビが同士討ちを演じてからは風向きが変わり、ハミルトンが以降7戦で6勝してチャンピオンシップリーダーの座を奪取。ロズベルグが反撃に出た夏休み後は首位から転落したが、表彰台には上り続けたおかげで得点差はそれほど開かなかった。だが、第16戦マレーシアGPでトップを走っていた際にエンジンブローが発生してリタイアを喫したこと、そして、続く第17戦日本GPのスタートで出遅れたことでロズベルグのリードが確固たるものになり、ハミルトンが自力でタイトルを勝ち取る可能性は消滅。最後まであきらめることなくプッシュし続けたハミルトンは選手権優勝の最低条件であるラスト4戦での勝利を見事に果たしたが、ロズベルグも自身に必要なリザルトを手堅く確保し、ハミルトンはコンビを組んで4年目にして初めてロズベルグに敗れている。

王者になるという夢をかなえたロズベルグが2016年シーズン終了直後に引退を表明したため、2017年にはウィリアムズからバルテリ・ボッタスが移籍してハミルトンの新パートナーとなった。チームへの順応も必要だったボッタスとハミルトンの差はシーズンが進むにつれて大きくなり、この年はチームメイトではなく、フェラーリのセバスチャン・ベッテルがタイトル争いの最大のライバルとなる。形勢は両者の間で揺れ動き、前半戦はベッテルがリードする形で折り返したものの、第12戦ベルギーGP以降の6戦中5戦で優勝したハミルトンが第18戦メキシコGPで4度目の戴冠を確定させた。また、この年ハミルトンはミハエル・シューマッハが保持していたポールポジション記録を塗り替えた。

前年に引き続きボッタスとのコンビで迎えた2018年シーズンは、再びフェラーリのベッテルとの争いを繰り広げることになる。開幕2戦でベッテルに連勝を許しポイントで先行されるも、第4戦アゼルバイジャンGPでようやく勝利を収める。その後はベッテルと一進一退の攻防を続けたが、第11戦のドイツGPがシーズンのターニングポイントとなった。ベッテルのリタイアに助けられはしたが、予選14番手からの優勝で勢いに乗り、それからシーズン後半は、前年と同じく勝利を重ね、第19戦のメキシコGPでファン・マヌエル・ファンジオに並ぶ5度目のドライバーズチャンピオン獲得を決めた。その後の最終2戦も連勝し、グランプリ優勝回数を73に積み上げた。

メルセデスで7年目のシーズンとなった2019年、開幕戦のオーストラリアGPでは幸先良くポールポジションを取るものの、レースではチームメイトのバルテリ・ボッタスに敗れ2位に終わる。その後は2連勝を飾り、シーズン序盤からボッタスとともにライバルたちに差をつけた。さらに第5戦スペインGPから4連勝し、第8戦フランスGP終了時点で187ポイントを獲得、前年を上回るペースでチャンピオンシップをリードし、ボッタスをも引き離していく。しかし、シーズン中盤からはフェラーリ勢やフェルスタッペン(レッドブル)に予選やレースで敗れる展開が多く見られるようになる。それでもハミルトンは着実にポイントを積み上げていき、第19戦アメリカGPで歴代2位となる6度目のドライバーズチャンピオンを手中に収めた。

コロナウィルスによる世界的なパンデミックの影響でレース数が削減された2020年シーズン、ハミルトンは開幕戦オーストリアGPこそ4位に終わるものの、第2戦シュタイアーマルクGPから3連勝し、チャンピオンシップを独走する。余裕のレース展開を見せていた第4戦イギリスGPでは、ファイナルラップで左フロントタイヤが破損するも、2番手フェルスタッペンの猛チャージを冷静にかわして勝利した。その後も勝利を重ねるが、第8戦イタリアGPでは赤旗でピットレーンが封鎖した直後にピットインするというミスを犯し、ペナルティを受けて7位に沈む。シーズン中のミスらしいミスはこれぐらいで、第14戦トルコGPではインターミディエイトタイヤを50周以上も持たせて勝利し、ドライバーズタイトルを獲得した。シーズン17戦中11勝を挙げ、ミハエル・シューマッハが持っていた最多勝利数(92勝)を更新し、記録を95勝まで伸ばしている。最多ドライバーズタイトル(7回)でもシューマッハに並び、歴史的なドライバーとなったミルントンは、「このチームと僕が一緒にできることには限界がない」と語った。

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