フェルナンド・アロンソ

Fernando Alonso

出身スペイン
生年月日1981年07月29日 (39歳)
参戦324
ポイント1925
優勝32
表彰台97
ソーシャルメディア
F1戦績
チームランキング
2001ミナルディ23位
2003ルノー6位
2004ルノー4位
2005ルノー1位
2006ルノー1位
2007マクラーレン3位
2008ルノー5位
2009ルノー9位
2010フェラーリ2位
2011フェラーリ4位
2012フェラーリ2位
2013フェラーリ2位
2014フェラーリ6位
2015マクラーレン17位
2016マクラーレン10位
2017マクラーレン15位
2018マクラーレン11位
2021アルピーヌ-

プロフィール

F1の中でも最も優れたオールラウンダーとして知られる2度のワールドチャンピオン、フェルナンド・アロンソは2010年にフェラーリをホームグラウンドとした。アロンソの強い精神はすぐにマラネロの支持を得たが、チームとの夢のパートナーシップは大きな目標を果たせないまま2014年に終わりを告げる。2度のニアミスで悔しい思いをしながらも、3度目のタイトルにはついぞ届かなかった。

カート時代に多くの成功を収め、ワールドチャンピオンにも輝いたアロンソは1999年、ユーロ・オープン・モビスターbyニッサン(後のワールド・シリーズbyルノー)に参戦してタイトルを奪取。翌年にはF3000にステップアップしている。また、この頃からF1チームらはスペインの若き才能に注目し、アロンソはミナルディでテストチャンスを得た。

ミナルディからレースデビューを果たした2001年、経験に勝るチームメイトを上回る結果を残すなどして輝きを放つ。次のシーズンはルノーのテストドライバーを務め、さまざまなスキルや経験を培っている。

ルノーのレースシートを失ったジェンソン・バトンの後任として、アロンソは2003年にルノーから再デビュー。序盤から速さを発揮し、マレーシアGPでは初めてのポールポジションを獲得、さらにハンガリーGPでF1初勝利を刻んだ。2004年は勝てなかったものの、2005年になるとキミ・ライコネン(マクラーレン)と競ってタイトル争いを演じ、見事に史上最年少ワールドチャンピオン(当時)に輝く。2006年は序盤9戦で6勝を挙げ、後半に復活したミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を抑えきって2年連続でドライバーズ選手権を制する栄冠を手にした。

2007年には栄光のカーナンバー1を手に名門マクラーレンへ移籍。序盤から結果を残したものの、次第にチームメイトのルイス・ハミルトンが頭角を現し、関係性が微妙になる。ハンガリーGPでは予選Q3でマクラーレンのお家騒動が発生し、この年限りでのチーム離脱が決定的に。結局、タイトル獲得を果たすことなくランキング3位で終えたアロンソはそのシーズンオフ、翌年からのルノー復帰を決めた。

ナンバー1待遇でルノーに再び迎えられたアロンソだが、2008年は終盤戦に2勝を挙げるにとどまる。そのうちの1勝は、後に”クラッシュゲート”として明るみに出ることになるシンガポールGPで手にしたものだ。2008年の終盤戦で好調だったことから2009年シーズンの活躍が期待されたが、マシンを含めたパッケージに競争力がなく、苦しい戦いを強いられた。シーズン途中からフェラーリとの契約がうわさされ、同年日本GPの直前にフェラーリと正式契約を結んだことを発表、ついに跳ね馬のレースシートを手にすることになった。

2010年に惜しくもタイトルを逃し、翌年はより良いシーズンを願っていたアロンソだが、タイトルはスピードに加えて一貫性を手に入れたセバスチャン・ベッテルとレッドブルの手に。アロンソにとってはシルバーストーンが唯一の勝利となるも、チームメイトの最高位が5位であるのに対してイギリスGP以外に9回の表彰台を達成したところにマシン以上の力を発揮する能力が現れており、レースへの態度をよく示している。

2012年シーズン開幕当初は事態がさらに悪くなったように見えていたが、競争力のないマシンで善戦したアロンソは夏休みまでにチャンピオンシップリーダーとなる。しかしながら、後半戦に入ってオープニングラップでの衝突によるリタイアを2回喫したためにベッテルのリードを許した状態でブラジルでのファイナルラウンドを迎え、最終的には3ポイント差でタイトルには届かなかった。だが、その果敢な戦いには3連続王者となった新チャンピオンよりも多くの称賛の声が寄せられている。

アロンソのパフォーマンスに見合うマシンを生み出そうと気張るフェラーリの努力によって2013年は期待の持てるシーズンスタートとなり、開幕戦オーストラリアGPでは2位に入る。さらに第5戦までに2勝を挙げたものの、その後はミスが増えて厳しいシーズンとなっていった。最も顕著だったのはマレーシアGPのスタート直後にベッテルとクラッシュしてフロントウイングを破損したにもかかわらず、ピットに戻ることができず2周目に入ったところでフロントウイングが脱落、リタイアを喫したことだ。不調に陥るにつれアロンソとチームの間には緊張関係が高まり、アロンソのチーム批判はフェラーリ社長のルカ・ディ・モンテゼモーロによって一蹴された。

2014年にはキミ・ライコネンがフェラーリに再加入し、2人のチャンピオンというラインアップにファンの期待はこれ以上ないほど高まった。しかし、アロンソがライコネンによって苦しめられる様子は見られず、ときに限界を超えてまでフェラーリを駆り立てたアロンソはシーズンを通してチームメイトを凌駕している。ハンガリーGPでは優勝まであと一歩だったとは言え、競争力が大幅に劣るマシンで2回の表彰台を達成したことも努力に努力を重ねたアロンソにしてみればそれほどの慰めにならなかった。シーズン末、レッドブルを離れたセバスチャン・ベッテルのフェラーリ入りをはじめ、メルセデスに空きシートがないことが明らかになるや否や、2015年のアロンソの移籍先がストーブリーグの中心的な話題となる。そんな中でアロンソが選んだのはシーズンスタート時には予想もつかなかったセンセーショナルなマクラーレン復帰だった。

ジェンソン・バトンとの王者コンビで、かつて黄金時代を築いたHondaと再タッグを組んだ新生マクラーレンの牽引役を担ったアロンソ。しかしながら、プレシーズンテストの段階からマクラーレンの新車にトラブルが頻発した上、アロンソは第2回のテスト中にクラッシュを喫し、一時的に意識を失ってしまう。外傷はなかったものの、アロンソは医師の助言にしたがって開幕戦を欠場し、リザーブドライバーのケビン・マグヌッセンが代役を務めた。

アロンソにとって波乱含みの幕開けとなった2015年はその後も忍耐を強いられる厳しい展開となり、シーズンベストリザルトである第10戦ハンガリーGPの5位以外には入賞を1回果たしたのみ。苦戦の中で時にパワー不足のHonda製パワーユニットを「GP2エンジン」と批判したこともあるアロンソだが、マクラーレン移籍の決断が失敗だったとは考えておらず、2016年はまったく別の年になると確信していた。

そのアロンソの予想通り、翌年のマクラーレン・ホンダは目に見えて進歩を遂げる。この年も開幕戦でクラッシュした影響で第2戦を欠場するという波乱のシーズン幕開けとなったアロンソだが、パワーユニットの信頼性とパワーが増したことで予選Q3に進出するのも珍しいことではなくなり、最終的には全21戦中9レースで得点を挙げた。特にオープニングラップで大きくポジションを上げる走りは2度の王者の名に恥じぬものであり、1周目で上げたポジションの総計は他のどのドライバーよりも多い41に達している。いまだ目指すべき位置から遠いとはいえ、プロジェクトが途上であるだけでマクラーレン・ホンダ自体は「今までのキャリアでいた中で一番のチーム」とアロンソは評しており、チームとともにワールドチャンピオンになるのが唯一の目標だと語った。

だが、元僚友のバトンに代わって若手のストフェル・バンドールンを相棒に迎えた2017年はプレシーズンテストの段階から、大幅な変更が加えられたエンジンにまたも信頼性とパワーが不足していることが明らかになった。再び厳しい戦いを強いられたアロンソは自身のパフォーマンスはキャリアベストだと感じながらも結果が残せないフラストレーションを募らせていく。そんな中でアロンソに新鮮な感触をもたらしたのは、マクラーレンとHonda、アンドレッティ・オートスポーツの連携で実現したインディ500への挑戦だった。モナコGPを欠場して伝統のオーバルレースに挑んだアロンソは、さすがの走りで予選5番手につけて世界中のファンをうならせたが、決勝では一時トップを走りながらもホンダエンジンのトラブルでリタイアを喫している。F1パドックに戻って以降は引退も頭をよぎったというものの、マクラーレンがHondaとの提携を打ち切ってルノーパワーに移行することを決断した後に、アロンソが2018年もマクラーレンに残留することが発表された。ランキングこそ15位に終わった2017年だったが、その活動はF1パドックを越え、9月にレアル・マドリードの公式名誉メンバーに選ばれたほか、10月には2018年1月のデイトナ24時間レース参戦が決定。11月にはル・マン参戦に備えてトヨタのLMP1マシンをテストしたのに続き、eスポーツのレーシングチームを立ち上げた。

マクラーレンがPUをルノーに変更して初年度の2018年シーズン、開幕戦オーストラリアGPで予選11番手、決勝5位といきなり好成績をたたき出す。その後も予選では確実にQ2進出を果たし、決勝では開幕から5戦連続でポイントを獲得した。しかし、その後はマクラーレンのマシンの進化が他チームに追いつけないためか、シーズン後半にかけてポイントを獲得するレースが減っていき、最後の6戦はノーポイントに終わる。最終的には50ポイントを獲得し、ランキング11位でシーズンを終えた。8月14日、マクラーレンは2018年シーズンをもってアロンソがF1を離れると発表。アロンソは2001年にミナルディからF1にデビューして以来、ルノー、フェラーリ、マクラーレンに所属して17シーズンを戦ってきた。言うまでもなく2度のワールドチャンピオンだ。最終戦アブダビGPでは11位でチェッカーフラッグを受けた後、かつてチャンピオンを争ったメルセデスのルイス・ハミルトンとフェラーリのセバスチャン・ベッテルに付き添われる形でコースを周回し、最後には3人でドーナツターンを披露した。レース後アロンソはインタビューに答えて「この週末のことは永遠に忘れない」、「コンペティティブなクルマだったこともあるし、そうじゃないこともあったけど、一度も諦めたことはない。自分が達成したこと、世界のベストチームでレースができたことを誇りに思う」と語った。

F1でのキャリアをひとまず終えることになったアロンソだが、最終戦で「僕はレースをやめるわけじゃない。僕はモータースポーツが大好きだから、まだ見限らないでね!」と語ったように、2018年はF1以外でのレース活動も活発に行っている。この年はトヨタからWECにフル参戦し、LMPドライバーズ選手権で2勝を挙げている(このシーズンのWECは特殊で、2018年5月から2019年6月にかけて行われた)。このうちの1勝は、ル・マン24時間レースで、2回優勝しているモナコGPと合わせて “世界3大レース”の2つを制覇したことになる。残るはアメリカのインディ500だ。アロンソは2019年と2020年にインディ500に出走するが、それぞれ予選落ち、21位完走という結果に終わっている。

2020年7月、ルノー(のちにアルピーヌに改称)が2021年のレギュラードライバーとしてアロンソの獲得を発表し、2度のワールドチャンピオンは3年ぶりにF1に戻ってきた。2020年シーズン終了後のフィルミングテストで久しぶりにF1マシンをドライブした感想を聞かれ、アロンソは「再びこのスピードを感じられたのはアメージングな気分だった。コーナーが次々とやってくるこの速さ、ブレーキング時のパフォーマンス、F1マシンが提供する全てが驚異的だ。それをもう一度感じられていい気分だったよ」と語った。

関連記事

F1
アルピーヌのフェルナンド・アロンソとエステバン・オコン、フェラーリのカルロス・サインツ【イギリスGP/シルバーストーン、2021年7月18日(Alpine F1 Team)】

ダブル入賞のアルピーヌ、「戦略面でもいい判断ができた」とアロンソ

18日(日)に開催されたシーズン第10戦イギリスGP決勝レースでアルピーヌのフェルナンド・アロンソと...

F1
アルピーヌのフェルナンド・アロンソ【イギリスGP/シルバーストーン、2021年7月17日(Alpine F1 Team)】

ソフトタイヤを生かしてポジションアップを成功させたアロンソ

17日(土)に行われたシーズン第10戦イギリスGPスプリントクオリファイイングでアルピーヌのフェルナ...

F1
アルピーヌのエステバン・オコン【イギリスGP/シルバーストーン、2021年7月16日(Alpine F1 Team)】

「ペースが戻ってきた」とオコン

シーズン第10戦イギリスGPが幕を開けた16日(金)、翌日のスプリントクオリファイイングに向けて行わ...

F1
アルピーヌのフェルナンド・アロンソ【オーストリアGP/シュピールベルク、2021年7月4日(Alpine F1 Team)】

今後に向けて「マシンとタイヤに自信が持てた」とアロンソ

4日(日)、シーズン第9戦オーストリアGP決勝レースでアルピーヌのフェルナンド・アロンソが10位入賞...